平成20年9月6日(土) 第10回小金井アクアスロン大会

 8月24日(日)、節目の10回大会を盛大に楽しく開催できました。 選手参加者は延べ人数で過去最高の140人でした。 
大会は10年目ですが、私は2回大会からボランティア参加してきました。 当時を振り返えりますと2回大会は人手不足で、初参加の私はいきなりスイムパートの主任に任命され、焦ったものです。 なんせ見たこともない大会のスイムの主任にされたわけです。 大会当日に思わずボランティアさんに言っちゃいました。 「すみません、スイムチーフという立場ですが、私初めてで何もわかりません。 よろしくご協力お願いいたします」 ってね。(*^_^*)

 今年の運営は訳あって、去年まで協力していただいた二人のトップの重鎮が去り、一気に私に重荷がかかりました。でも、そこはトレーニング仲間が支えてくれて、非力な私を充分に援護し、また楽しんで協力してくれました。 実はこの大会を支える小金井市トライアスロン連合は大変革を遂げました。 過去との違いは、トレーニング仲間が主体となって運営をいたしました。 気心知れた仲間で構成された始めての大会でした。 
 一からやり直しました。 大会直前のミーティングはそれはそれは活発なものでした。 前日の準備ではランコースの距離を測りなおしたり、様々な疑問を討議しました。 その結果はみごとなチームワークで乗り切りました。  しかも一日雨降りという困難を背負いながら。
 当日の私は事務局の本来の仕事ができず、ボランティアの皆さんの応答に対処することに追われました。 選手受付は10分遅れ、さらに大会のスタート10分前にぎりぎり参加者のリストをスタート召集係りに手渡した程です。 事故もなくすべては順調に進行しました。 競技を楽しむ参加者の皆さんの笑顔を見て、本当にやりがいを感じます。
 近年、アクアスロン大会は一つのスポーツとして一般に知れ定着してきたのでしょう。 他地区を含めて盛んに開催すること約10年の歴史です。 地元小金井市民は40人程。 他は遠く埼玉、神奈川、片道2時間もかかる人達も多く参加しています。 聞けば、沢山ある東京都でのアクアスロン大会の3番目に位置する参加者数だそうです。 みごとな発展を遂げています。 きっと私はこの行事に骨身を捧げていくのでしょう。 生きがいかもしれません。
 自分はマラソン大会、トライアスロン大会など一年を通して沢山の大会に選手参加しています。 そのすべての大会は多くのボランティアが支えて成り立っています。 その恩恵を少しでも返せればと、小金井アクアスロン大会を運営しています。 どこでもこの種の大会はそんな方々が支えています。 知らない方、一度ボランティア経験してみてください。 今まで見たこと感じたことのない感動があります。 ほんとうですよ。 \(◎o◎)/!

 






平成20年6月24日(火) 2回目のアイアンマン挑戦! 

 今から2年前、友人の北折さんを宮古島トライアスロンで初ロングディスタンス(長距離)に導き、さらに長崎五島アイアンマン大会に連れて行くことを約束して、早、この時期を向かえることになりました。 2年がかりでこのためのトレーニングを共に積み上げ、お互いに刺激、競争しながら進歩してきました。
毎年3月から11月まで、ほとんどの日曜日は奥多摩の山道でバイク、ランのトレーニングでした。 トレーニングの一日の基本メニューは60〜80キロバイク&11キロラン。 大会一ヶ月前には2日くらいバイク100〜120キロのロングライドトレーニングをこなしてきました。 では12月から2月までは? この間のメインはラントレーニングで、ハーフ、フルマラソン大会に出場してきました。 今年の3月頃からは週一回、友人の佐々木さん指導のもとでスイムトレーニングを始め、毎回2キロ前後のトレーニング量でした。 勿論、スイムは暇があれば個人的にもやっていました。
今年は宮古島トライアスロン大会を4月20日に出場して、さらに6月22日、最大目標の長崎アイアンマン出場となったわけです。 
 この2年間で徐々に私の中に意識変化が起こりました。 トレーニングで友人を引っ張る(先導)意識です。 つまりトレーニングだからといって怠けず、常に仲間の先頭を走る意気込みでした。 これが後に良い結果をもたらすことになりました。 それはトレーニングにおいても最後まで目一杯がんばり通す粘りでしょうか、 次第にこの気持ちはレースに対する自信へと繋がっていきました。 
しかしこの2年間には怠惰から太り、北折さんにレースで負け、プライドを砕かれ、再び奮起する過程もありました。 
さらに通風になり1ヶ月間トレーニングできないこともありましたね。 情けないです・・・(>_<)。
一躍奮起し、7キロ減量してからの1年は徳之島トライアスロン、筑波マラソン、東京マラソン、宮古島トライアスロンと良い成績を収めてきました。 すべて共通してランに目覚しい進歩が見られたのでした。 驚きましたが52歳過ぎても人は体力的に進歩する余地があるのですね、長距離だからでしょうか。 
 今年の長崎五島アイアンマン大会は6月22日、梅雨の真っ只中。 2年前までは5月第3週開催でしたが、去年から6月第3週へ変更されました。 5月は海水温が18度、6月は22度、これが変更の根拠かな? 18度は頭がカチンコチンになる程冷えましたからね。 今年は直前から北九州の大雨による洪水報道がなされ、福江島への交通手段を含めてかなり心配させられました。 20日(金)に現地入りしましたが、21日も両日とも雨で、降っては止みの連続でした。 宮古島のような前日の軽いトレーニングもできず、大会前夜の未明まで土砂降りの雨は降り続きました。
 大会当日は午前3時起き、3時半には箱詰めのお弁当を食べ、大会会場への出発準備です。 会場へのバスは4時45分発。 この頃には雨も小雨から霧雨になりました。 バスに乗り、会場に着いてからはトイレ、登録、ナンバリング、バイクのセッティング、スイムの着替え準備など瞬く間に時間が過ぎていきました。 スイムスタートは7時、この頃には雨も上がっていました。 この大会はフローティングスタート、つまり沖で立ち泳ぎからのスタートです。
 さて、エアホーンは鳴り響き、約900人弱の同時スタートです。 お互いの体、腕、足が絡み合いぶつかり合う、いわゆるバトル(戦い)状態がしばらく続きますが、500mもすると大混雑は解消され、マイペースでの巡航速度で泳ぎ始めます。スイムは3.8キロで、1.9キロコースを2周回します。  砂浜に上がり時計を見ると1時間18分の経過、「ちょっと遅いかな?」 と思いつつ着替えてバイク置き場へ走りました。 「あれ?北折さんのバイクがない!」、「スイムは俺より早いじゃん!ウホッ!(あせる)」。
 トランジションで着替えを済ましてバイクの発進です。 「50キロはウォームアップだ」、そんなことを思いながらも抜かされ抜かされ我慢の連続です。 「おいおい、後からバテるぞ!ちみたち」、と心でつぶやいている自分は少し心細い。50キロ付近で北折さんを発見して、その後の約10キロは登り坂で抜き、下り坂で抜かれを繰り返しました。 彼は下り坂の名手です。 次に70キロ地点で友人の太田さんに追いつく、彼はスイムが早いのです。 この頃からエンジンに火が付いたようにペダルが回転し始めました。 登り坂では面白いようにがんがん抜いていく、奥多摩トレーニングの成果です。 下り坂もがんがん抜くが、なぜか平坦道路では抜かれていました。(>_<)
 天候は曇っていても湿度は高い、脱水に要注意です。 以前、真冬日の青梅マラソンでゴール後2時間も貧血に似た症状で立てなかった経験がありました。 これは脱水による典型的な症状で、水分だけではなく、充分な塩分摂取も不可欠です。 今回、バイクにはチューブ入り練り梅と塩タブレットを用意して万全な補給対策を図っていました。 長い長いバイク180.2キロ。 後半の90キロは面白いようにバテバテの選手を抜き始めました。 我慢していた甲斐がありました。(^o^)丿 
 さて最後のパートのラン42.195キロ(フルマラソン)です。 必ずサブフォー(4時間以内)をする意思で今回も準備してきました。 私は3種目の中でランがとても得意なのです。 これを活かせば、必ず好タイムに繋がることを確信していたからです。
入りの10キロは1キロ5分ペースでしたが、「これでは潰れる!」が頭に走り、1キロ5分30秒ペースにダウンしました。 この判断が良い結果を生みました。 最後までスピードは落ちず、バテた選手をどんどん抜かしていきました。 最後の8キロで同じエイジ(50〜54歳)グループの2人を抜き、追いかけて来るかも?と振り返らず走りました。 追われるものは抜かれまいと強いものです。(ん?逆も言えるかな?)  かくしてランは3時間51分のびっくりタイムでゴール。 陽も暮れぬうちにゴールできました。 総合タイムは11時間30分。 6年前の初参加とバイクコースは変わりましたが、タイム的に1時間50分の短縮を達成しました。 総合261位(前回556位)、エイジ19位(前回72位)。 53歳の俺が47歳の時の俺に勝ったということですね! (^o^)丿
 友人の北折さんは12時間46分でした。 前回の私は13時間22分でしたから、初挑戦でのこのレコードは良いタイムです。 彼は私と抜きつ抜かれつ競争していた後、下りカーブを曲がり切れずクラッシュしてしまったそうです。 でも手足の傷も浅く、競技をそのまま続けることができ幸いでした。
 同行の北折さん、太田さん、共にアイアンマンを完走してその称号を得ることができました。 一緒にトレーニングしてきた仲間の成果は私にとっても勲章のように輝いて見えました。
 この後、美味しいお酒が飲めたことは言うまでもないでしょう。 とても苦しくも楽しい長い長〜〜〜い一日でした。

 
大会前夜、「かんぱ〜い!」はお決まりです     大会翌日、時間があったので長崎の「出島」へ 
右は太田さん                        左は北折さん


  太田さん北折さん

 真ん中の坊主は私

 

 
このシーンは足を引きずりながらゴールしようとしている選手。 私には抜くことが出来ませんでした。
共に同じ苦しみに耐え抜いてゴールするわけですから。 いっしょにゴールして握手しました。




平成20年4月23日(水) 5回目の宮古島トライアスロン大会

 4月20日(日)、第24回宮古島トライアスロン大会に参加してきました。 
今年は私のトライアスロン師匠の行成さんが仕事と体調不良のため参加できず、ちょっと寂しい思いで向かえました。
ですから、2月末からのトレーニング開始にも行成さんの姿はなく、トレーニングはいつもの年と違いました。
でも、北折さん、サルこと鶴間さん、太田さん、高野さん、金久保さんと私で順調にトレーニングしてきました。
今年は小金井消防署署長の高野さんも加わり、仲間も次第に増えつつあり、楽しいかぎりですね!
 バイクトレーニングは2月の末から始め、たった2ヶ月間で仕上げることになり、今年もかなり苦慮しました。
なんせ冬のバイクトレーニングは寒くてね・・・。 毎年、始動が遅くなりがちです。
 スイムの本格始動も3月に入ってからでしょうか、佐々木さん(整体師)指導のもと、メガロス武蔵小金井で週一回で2000〜2500m泳ぎました。 
 ランは去年からの連続で、月間200〜300キロを維持してきました。 このランの調子良さが今回の大会結果に大きく反映しました。
 今年の選手参加者は去年と同じ、北折さん、太田さん、湯山、さらに高野さんでした。 そしてハイライトは応援組の水越さん、笹垣さんが来てくれたことです。 いわゆる「よろこび組」ですか・・・?(変な意味ではありませんよ)
応援組の2人は、一度、ロング(長距離)のトライアスロン大会を見たいとの希望で、それが実現したわけです。
 応援組のために、目立つ方法はないか・・・と考えた末、ヘルメットに花を付けることにしました。 ハイビスカスです。
彼女たちはしっかりと応援してくれました。 スイムフィニッシュ地点、バイク61キロ地点、ランフィニッシュ地点です。
やはり応援のあるなしは、かなり選手の気持ちに影響を与えますよね。
 結果的に太田さん、北折さんと私は自己最高記録を出しました。 これは応援組のおかげですよ!
 私はこの3年間、記録が悪くて自信喪失ぎみでした。 太ってきたせいもありますが、つまりはモチベーションの低下ですよね。 去年の宮古島大会で北折さんに負けて減量することを決意し、徳之島大会(ハーフトライアスロン)でリベンジしました。 そして今回の大会では5年前の記録を57分縮め、総合タイムは10時間17分46秒。 完走者1318人中の224位でした。 5年前は450位でしたから大躍進ですよね! 
 北折さんも去年の記録を56分も縮め、10時間59分44秒。 これも快挙ですよ! りっぱな記録更新です。
また、太田さんも12時間の壁を破り、11時間56分3秒で念願の11時間台に突入です。 まだまだ進化しますね!
 皆、それぞれ有意義な大会となりました。 大会後のその夜の打ち上げは、それはそれは楽しいものでした。
飲んで〜飲んで〜♪


                                    左端 水越さん、 右から2番目 笹垣さん  

左から 北折さん、太田さん




平成20年2月28日(木) 劇団四季

 私と劇団四季のめぐり合わせは10年を坂登ります。
ディズニーアニメの「ライオンキング」はご存知かと思います。 このミュージカルはアメリカでトニー賞を取り、日本でも大ヒットしました。
今年、10年目のロングランを迎えています。 
この作品はかなり忠実にアニメを再現したものです。
もう何回観たでしょうか? 観るたびに「うるっ!」てきます。 思い入れが強いからでしょう。
配役の方の変遷を見て、劇団四季の団員の登竜門みたいな存在でもあるようです。
団員は、この作品からさらなる躍進を歩むパターンを見てとれます。
私がミュージカルを初めて観たのはこの作品からです。 アメリカでのライオンキングの評判を聞き、「ん〜ならば、観てみようか・・・」と思ったのです。
いまだに観るたびにオープニングで鳥肌がたつ思いです。 観客席から様々な動物たちがステージに上がっていく。
そしてテーマソングの「サークル・オブ・ライフ」。 年寄りヒヒのラフィキの歌声。 しびれます。
私の朝のジョギング、またはレースに聞く曲にこのメロディーは流れています。 話はそれますが、歌うは、ドリームガールズで主役を得たジェニファー・ハドソン。 彼女はオーディション番組で勝ち抜き、その地位を得ました。 その時に大きく印象付けた曲が「サークル・オブ・ライフ」。 この曲はレコーディングされていません。 オーディション番組の録音のみがネットで聞けるのです。 とってもボリュームがある声と歌の上手さ、最高です。 思わず早く走れますよ。
いろいろ劇団四季の作品を観ました。 でもこれに勝るものはいまだありません。
もう一つ、「キャッツ」も何回も観ています。 これは大人向けですが、お気に入りの一品。
今度、静岡で予定の「美女と野獣」。 これもディズニーアニメもので、ターゲットにしています。
あくまで、あくまで、私は夢が好きな人なのです。 現実は歯科医、趣味はトライアスロン、ミュージカル鑑賞。
自分でも面白い奴だと思います。かな?。

 ラフィキで〜す




平成20年2月18日(月) 2回目の東京マラソン

 昨日17日(日)、去年に続き2回目の東京マラソンに参加してきました。 去年は3倍、今年は5倍の抽選倍率をクリアしたわけです。 こんなことでくじ運を使って良いのかしら?と思っていましたが・・・。
実はラントレーニングのし過ぎなのか?、今年の初バイクトレーニングの影響なのか?、大会3日前から腰痛が酷くなり、金曜日の夜に友人の佐々木整体治療院に行きました。 腰痛をかばうためなのか、左のお尻の筋肉が異常にしこっていました。 佐々木さんにはマッサージと針を打ってもらいました。
翌日、土曜日は朝から腰が痛い。 あ〜どうしようと思っていましたが、夕方から急に痛みが柔らぎ、翌朝にはかなり回復していました。 
17日の当日の朝、それでもまだ腰は少し重たい感じ。 「でもやるぞ!」の気合それだけでした。 なんせ、友人が4人も街頭応援に来てくれるからです。
去年は冷雨での最悪コンディションでしたが、今年は寒くても快晴。 マラソンには最高の条件でしたね。
帽子にはバナナ3本、りんご1個、ライムスライス5枚を貼り付けました。 もちろん模型です。 そして黄色いT−シャツの背中に「No more BANANA」を書きました。 またやっちゃいました。 癖になります。
 
 今年はバナナ男です♪ (去年は野菜の飾り)

9時10分、石原知事の号砲でスタート。 さすがに腰痛の不安で抑え気味に走り始めました。 キロ4分45秒くらいかな。 2回目なのでコースはすべて熟知しています。 緊張せずに余裕はありました。 
思ったよりも腰の調子は回復していました。 さすがわ自称、「幻の整体師」の佐々木さんです、確かな腕前です。 
スタートから2キロ地点の新宿厚生年金ホール前で影山さん(友人の歯科技工士)を発見! 示し合わせドンピシャリです。
12キロ過ぎ、ボランティア参加でコース整備の水越さんから「かん(寛)さ〜〜〜ん!」の叫び。 彼女は小金井アクアスロン大会の好評のアナウンス嬢です。 バナナ男は発見するのに充分目立ちました。
そしてこのあたりで品川から折り返してきた先頭グループとすれ違い。 トップランナーを見られます。 生で見る彼らは実にカッコいいです〜〜〜♪。
日比谷の交差点付近は21キロ地点、「湯山さ〜〜〜ん!」の叫び声。 眞壁さんの声。 ここが事前打ち合わせのポイントです。 21キロポイント1時間37分。 前回最高記録の経過タイムから数分遅れです。
去年よりも天候が良く、人だかりは凄いもので、振り返り見た時、目に入ったのは眞壁さん、男沢琴美ちゃんだけ・・・。
そこには笹垣さん、先ほどの影山さんもいたはず・・・。
そのままペースは崩れず、乗りましたね。 35キロ地点まで5キロ23〜24分ペースでした。
浅草は25キロから30キロ地点。 このあたりの応援は凄かった〜〜〜。
地域性でしょうか、声援がもの凄かったですよ。 メガホンで「よう!バナナ!がんばれ〜〜〜い!」みたいに、子供、大人関係なく凄い応援でしたね。 伝統的なお祭り好きの地域ですからね!日本の誇りですよ。 
そして35〜40キロまでは26分、さらに最後2キロはキロ6分近く。 とうとう崩れました。
腰をかばって走っていたのでしょう。 最近、ここ数年のフルマラソンではふくらはぎの痙攣は起こしたことありませんでした。 右足に痙攣がはしりました。(私は右足主導型)  残り4キロですが、 凄く長く感じましたね。 
なんとも言えぬ悔しい思いでした。
ともあれ、ゴールタイムは3時間21分53秒。 このコンディションです、最高に良かったと思いました。
そして神田の銭湯で癒し、皆と合流して、新丸ビルで飲み会。 北折さんも仕事を終えて合流。 
この後、新宿のカラオケに行き、帰ったら11時。 
でも苦しくも楽しい一日でした。 友達っていいね! そんな有意義さを感じていました。


新丸ビル”リゴレット”前にて                ゴール直前。 疲れてますね!  




平成19年11月26日(月) 自己ベストタイム更新しました!


 25日(日)、つくばマラソンに参加してきました。 晴天の秋空、意外に暖かく、手袋は早々に外して走るほどでした。体重を7キロ減らし、月間走行距離を伸ばして挑んだフルマラソンです。
今回の目標は3時間30分を切ること。 自己最高タイムを出してからの5年間、一度も3時間30分を切ることができませんでした。 まるで燃え尽き症候群のようにダメだったのです。
結果的に高望みをしない無欲のランニング、これが功を奏したのでしょうか。
スタートから集団につられるように1キロ4分30秒前後で30キロまで走り、2時間14分。 その後少しペースは落ちましたが、結果はネットタイム3時間12分58秒。 過去の自己最高タイムを約1分縮めました。
まさか52歳で記録の更新が出来るとは夢にも思っていませんでした。 
なので嬉しさこの上なしです。 ヾ(^^)

また、フルマラソンでは体重1キロの減は3分早くなると本に書かれていましたが、これも身をもって証明していました。 7キロX3分=21分の減。
友人の北折さんも自己記録を25分更新する3時間32分で結果を出しました。 ともに記録更新で、この日の打ち上げは歓喜の酒宴となりました。
そうそう、今回は明らかに違うシチュエーションがありました。 陸連登録者としては不謹慎なことですが、マラソン大会ではじめてウォークマンを聞きながら走りました。 正直、ハーフの21キロまでは雑音ですね、やたらやかましい。 さらには自分の息づかい(呼吸のリズム)が聞こえない。 息づかいはスピードと自分の調子を計る重要な材料です。 この状況に慣れるまで少々戸惑いました。 ところが、疲れが出始める25キロ過ぎから曲の歌詞が聴こえ始めたのです。 ゆずの「栄光の架け橋」、 映画「ロッキーのテーマ」、 D−51の「ノー・モア・クライ」、 ZARDの「負けないで」などなど、 そしてラスト2キロにかかったのが B‘zの「ウルトラ・ソウル」、 もういっきにダッシュです。 次回からは25キロ過ぎから聴くほうが有効であると確信しました。 
次回のフルは2月の東京マラソンです。 東京マラソンではどんなコスチュームがいいのか今から迷っています。 また自作の手作りで行きます! なんて楽しみなんですけどね。(^^)




平成19年11月1日(木) 達成しました! (~o~)!

 走暦15年、初めて月間、ランニング走行距離400キロを越えました。
432キロです。 でも実際、怖いですよ。 いつ故障するかな? なんて思いながら・・・歳ですからね。
まあ、若くてもこの距離は大変ですよね。
体重も7キロ減の68キロを維持しています。
最近、デジタル入力タイプのウォークマンを買いまして、のりのりの曲を入れ、毎朝走っています。
すこし軟派になりました・・・
さて、次のレースは4日の勝沼ぶどう郷ハーフ、25日のつくばフルと続きます。
どうなりますことやら・・・・あまり期待せずに頑張ってきます!


平成19年7月17日 トライアスロン仲間との合宿♪

 7月14日〜16日まで、長野県白樺湖の近くで、雨にも負けず台風にも負けずに・・・(地震はチョットありましたが・・・)。
いや〜 楽しくも楽しい苦しくも苦しい合宿してきましたよ。
飴と鞭ですね・・・(^。^)y-.。o○
飴とはなにか?
それは深々とどっぷりと仲間と飲んだ楽しい時間♪。2泊3日があっと言う間に過ぎました。
トライアスロン仲間ですが、職業は全部バラバラで利害関係は全くありません。 なので楽しいに尽きますよ。
話題は仕事の話は殆どしません。 く〜だらない話か競技の話ばかりです。
あっ! 毎度のことですが北折さんのギターの弾き語りもあります。
歌はスピッツ!スピッツ!スピッツ!(スピッツの追っかけ? だよな〜))
 運動能力レベルは月からスッポンまで、自分のレベルを自由に堪能できる団体? なのかな・・・?
宿は眞壁さんの紹介で、彼のスキーの恩師、山本先生のペンションでした。 
実は前回の歯科医師会スキー部合宿で、同行した眞壁さんがゲレンデで偶然に山本先生に再会して、この日を迎えたのです。
一日目の参加者。
北折さんは左手前。眞壁さんは右手前。オーナーの山本先生は右奥。

 トライアスロン愛好者はどちらかと言えば、ストイックにトレーニングをして、その成果、成績に固執する人が多い。
私も然りかな・・・。 
でも飲んでいて、私がトレーニングで引っ張ってきた友人の北折さんが言った言葉に私はじ〜んときました。
私は最近、彼と運動レベルが大差なくなり、練習もレースでもマジに張り合うようになりました。
そんな彼が言ったこと。 徳之島のランで私が追いつき、抜かされた時、「やっと湯山さんが戻った。本当に嬉しかった」と少し目を赤くして言っていました。 指導者はいつか抜かされてその存在価値を知るもの、私はそれを実感しました。 ん〜・・・・・涙ものでした。 でも人目もあり・・・。 でもでも、マジに嬉しいです。 トライアスロンの楽しさを真に分かち合える友人が増えたのです。 もう彼は私の上をいってますが・・・嬉しい。
 では鞭はなに?
2日とも超二日酔いでのトレーニングです。 私は楽しいとお酒が止まりません。(^_^メ)
脱水症のハードトレーニングはかなりきついものでした。
もち、北折さんには置いていかれました。
言い訳はなし。 私の師匠の行成さんは絶対に負けませんからね。
「52歳の奮起」
これは北折さんのおかげ。 まだまだじじ〜的存在にはしてもらえそうにないね!(^_-)-☆
よろしく!





平成19年7月8日(日) 52歳の奮起!

 「目的を達成すると気が緩む」
 最近、痛烈にそれを感じ入りました。
5年前に念願のアイアンマンを完走し、3回の宮古島トライアスロンを完走して、どっぷりと気が緩んでしまったようです。 競技を楽しむことが好きな性格であるのに、それを棒に振るかのように今年4回目の宮古島は75キロオーバーの体重で出場したのです・・・。 ウエット(スイムスーツ)はパンパンでボンレスハム状態・・・(笑い)。
今までにないヘビーなウェイトです。 結果は然りで、熱中症に見舞われた去年よりは少しましなだけ。
今年初出場の友人(北折さん)は同じ年齢ですが、初ロングディスタンス(長距離)挑戦であるが故にやる気満々でした。 結果は私の大敗。 いろいろ指導してきた私は面目まる潰れでした。
敗因は言うまでもなく、気持ちの入れ込みの違いです。 
「ある程度の記録も出たし、後はレースすることを楽しむんだ。」 私のこの気持ちが一番の怠慢を生み出したのです。
「このままでは情けない!!」 宮古島大会が終わり、5月の連休から私の奮起は始まりました。
まず、一番いけない事は体重の急激な増加。 
実は大会直前に行った人間ドックでとてもショッキングなことをお医者さんに言われました。 「ウェストは86センチ。 それと中性脂肪が多いですね。 メタボリックですね!」
「トライアスリートである私が、私が、私がメタボリック!・・・・・・・・・・・・・」 (ムムム・・・) 
一般的にフルマラソンでは体重1キロで3分タイムが変わると言われています。
トライアスロンも体を移動するタイムで競うのですから、体重が軽いに越したことはありません。
2番目にいけない事はトレーニングする時のモチベーションの低下。 
いつでもやる気を出して、手抜きをしない事。 
この2つです。
体重を落とすために、友人の勧めで「玄米食」を始めました。 玄米は栄養豊富と言いますが、実は消化が悪い。 摂取カロリーは白米より下がります。
焼酎とおかず食いの習慣を改め、食事の後に飲むことにしました。 飲酒量は減ります。
朝のジョギング距離を延ばします。 月間100〜200キロを300〜400キロに。
マジにやりましたよ。 5月は335キロ、6月は388キロ走りました。
画して、この2ヶ月で68キロまで落としました。 7キロ減です。
結果は現れたのか?
実は7月1日。 鹿児島県徳之島のトライアスロンに参加してきました。
アイアンマンのハーフサイズのトライアスロンで、スイム2K、バイク90K、ラン21Kの大会です。
宮古島で負かされた友人と共に参加しました。
結果は・・・今回は勝ちました。
ただし、進歩目覚しい友人はスイムとバイクで私を凌ぎ、ランで負けたのです。
タイム差は10分。 私は203名中50位でした(6時間19分)。 友人は59位。 接戦でした。
「努力は報われる・・・。」(イョ〜〜〜、ポン!)
それにしても梅雨明けの厳しい暑さの大会でした。 ランの時の気温は37度でした。
デブのままでは勝てない気象状況でしたね。
充分な塩分摂取もできて脱水にもならず、成功しました。
やっぱり競技は目一杯頑張れないと面白くないですね。 これが結論です。
来年度、この友人と共に長崎アイアンマンに出ます。 友人の最大の目標だからです。
エスコートするつもりが、今では良きライバルとなってしまったようです。(笑い)
「もう、太らないぞ!」 「このままの調子で頑張るぞ!」


宮古島にて 北折さん 太田さん 私(使用前?)    徳之島にて 私(使用後?) 北折さん 






平成19年3月1日(木) スキー合宿

 2月21日、22日と一泊二日で長野県白樺湖のスキー場に行ってきました。
歯科医師会の年一回のスキーイベントです。 今年は様々な都合が重なり、参加者が極端に減りました。
そこで私の友人2名を誘い、合計4名での小規模な合宿となりました。
スキー場は「しらかば2 in 1」。 前日の東京の雨がこちらでは雪でした。 良い具合に雪が積もり、天候も晴れ、雪が解けることもない気温で快適な二日間でした。
私の友人の二人は普段いっしょにトレーニングしているトライアスロン仲間です。 以前からスキーの趣味を聞いていたので誘いました。
いや〜 なかなかの腕前と言うか足前です。 一人はインストラクターを過去にしていたそうですよ、だから上手い〜。
どうも、トライアスロンをするような人は、過去にも他のスポーツに凝ったことのある人が多いのかな〜?
私もそうでしたから・・・・
一日目は皆、自由にガンガン滑りまくりました。 私はフルマラソンから三日目、かなり足がパンパンでしたが、同じ足なのに使う筋肉が微妙に違うのでしょうか? それなりに滑れました。
夜は・・・酒、酒、酒。 飲みました〜。 私は昔から、楽しいと飲みすぎる傾向があり過ぎで困ります。 
 二日目の朝。 私は超〜二日酔いと超〜パンパンの太腿でもう限界!
私は友人の二人といっしょに滑るのはやめて、歯科医師会の吉澤先生にスキーレッスンをすることにしました。
リフト7本くらいかな、一時間余りのストックなしのレッスン。 結構上手くなりましたよ。 吉澤先生もかなり御満悦の様子でした。 この日はリフト半日券をフルに活かし、充分滑りました。
帰り道は長野県ですから美味しいお蕎麦を食べ、帰路に着きました。
二日酔いのためか、胸がムカムカ。 お蕎麦もやっと食べる具合でした。(情けない・・・)
でも、楽しい二日間でしたね。 吉澤先生が言われてました。「こんなに有意義な合宿らしいのは初めてですよ!」
そうですね、私もマジに人に教えたのは初めてでした。
来年は盛況に大勢で行きたいですが、今回のようなマジなスキー合宿も有意義で楽しいですね。





平成19年3月1日(木) 東京マラソン

 2月18日、第1回東京マラソンに出場しました。 追加抽選で当たりましたが、なんと3倍の応募があったそうですね。
しかし、楽しみにしていたマラソン当日、朝から雨、雨、雨、寒〜〜〜い雨。 友人たちと待ち合わせして行きましたが、皆、雨で憂鬱な顔。 「第1回大会だからな〜。 第2回ならパスだよな〜」そんな会話をしながら・・・
新宿都庁前を9時10分にスタート予定。 しかし8時30分までに服などの荷物を預け、それからは支給された、ビニールの袋に首と手が出るように穴の開いたポンチョだけ。 これで50分間くらいスタートまで待つ。 正直、「勘弁してよ〜〜〜!」ってくらい寒くてガタガタ皆、震えていました。 テレビ中継ではその寒さは伝わらなかったでしょうね・・・。 
記念式典の間に招待選手もガタガタ震えていたそうです。 これは来年度以降の運営サイドの課題ですね。 
さて、かくてスタートは切られ、GO、 GO、GO! これで寒さから開放される。 しかし、この後も雨は私のゴールまで降り続き、寒さから手や腕のしびれは続きました。
 さて話題を変えて。 今まで、フルマラソンのウェアは真面目にレース用だけでしたが、今回はお祭り気分を味わいたく、仮装することにしました。 どんな仮装をしようか迷い、まずドンキホーテへ。 あります、あります。 かぶり物、着ぐるみ、かつら、コスプレ・・・ 皆どれも走るには暑そうなもの、または恥ずかしいものばかりです。 ただでさえ人一倍汗っかきなのに、困りました。 そして考えたあげく、帽子に何か細工をしようとユザワヤへ行きました。 造花のコーナーで見つけました、野菜の模型です。 ウレタン製で軽い、帽子に付けてもいい感じ〜♪。 キュウリ、にんにく、ねぎ、ビワ。
これを古い赤いキャップに貼り付けました。 写真がそれです。 右の外人さんはゴール後の写真撮影に並んでいたら、話しかけてきました。 「I am vegetarian.  Are you not・・・・・」。 私のTシャツの背中に手書きで 「I am not vegetarian」 と書いてあるからです。 もう一人の外人にもゴール後に声をかけられました。 「10キロ地点で私を見て付いてきた」みたいなこと英語で言ってました。 沿道では、「なんだ〜あれ〜?」の笑い声、「野菜〜!」、「八百屋さ〜ん!」、「ねぎ〜!」などの叫び声。 顔を向ければ「ワ〜がんばって〜〜〜」の声援。 元気をいっぱいもらえました。 なんか目立つっていいですぅ〜〜〜♪。 でもタイムの遅い後方では面白いコスチュームがいっぱいでしたね! マジに走るなら程ほどに・・・と、心との葛藤ですね。
それにしても沿道の応援は凄かった。 冷雨にもかかわらず、途切れることない人の列。 特に日比谷から銀座、浅草にかけては凄い人だかりでした。 日本のマラソン大会では沖縄の那覇マラソンの応援が最高と思っていましたが、ここまで凄いのは初めての経験です。 さすが首都東京です。 私の仲間たちも寒さに震えながら応援してくれました。 
これだけの応援の中では、選手も足が痛いからと歩くのも大変だと思いますよ。 私も那覇マラソンで経験しましたが、「がんばって〜!」の連呼ですから、嫌でも走らされると言うか、辛い時は地獄のようでしたよ。 私の友人の話ですが、那覇マラソンで足が痛くて走れず屈伸運動をしていると、4歳くらいの子供が寄ってきて、「おじちゃん、なにしてるの?」って聞かれたそうです。 無邪気で可愛いのですが・・・。 いろんなことあるものですね。(笑い)
しかし、多くの人に元気と勇気をもらえるからゴールできるのだし、がんばれるのです。 感謝、感謝ですよね!
 ゴールタイムは3時間38分でした。 現在の重〜〜〜い体重にしては、まあまあでしょうか・・・
大会も終わり、神田の銭湯に浸かり、応援組の友人たちと飲み交わした酒の旨いこと旨いこと。
来年も参加したい大会ですが、人気が過熱してもっと熾烈な抽選倍率になりそうですね。







平成18年5月6日(土) 悲惨なゴールデンウィーク

 私の年内最大イベントである宮古島トライアスロンも終わり、ほっと体を休める連休のはずでした。
実は5月1日から風邪をひき、3日から寝込みました。 まだ咳が出るし、声も枯れたままです。
どうも長時間に渡る過酷な運動は、後日免疫力の低下を招くようです。
思えば、3年前のアイアンマン長崎の後は1,2週後から3週間も頭痛に悩まされました。 これはおそらくストレスから来る身体の不調でしょう。 今回は風邪か〜、なんて思っていました。
ところが、今度は5月4日から左足親指の付け根と内果(内くるぶしの前下方の骨隆起)が腫れあがり、歩くことも困難となりました。 (今も杖をついて歩いています。)
わかりますか? そうです、痛風発作というものです。
さっそく医者に行きました。 「これは贅沢病の痛風ですね!」と言われました。
思えば2,3年前からたまに痛むことはありましたが、翌日には痛みも消えていたのを思い出します。
その時から、「まさか俺が痛風なんて・・・有酸素運動しているし、太っていないし、高脂血症、高血圧でもないし。」なんて思っていました。
ところがどっこい、調べてみました。 
長距離ランナー、トライアスリートに案外多いそうです。 理由は以下の如くです。
ジョギングなどの適度な有酸素運動は良いのですが、過度の長距離走は乳酸(疲労物質)の生成とともに、エネルギー生成の過程で尿酸も溜め込んでしまうのです。
さらに、脱水症状は血液を凝縮して尿酸値を上げます。
普段、高目で尿酸値が7〜8の方はレース後に10くらいまで上がるそうです。
私のような毎日、毎日の大酒飲みはアルコールの分解で尿酸は増えるし、尿酸の排泄も悪くなっているわけです。
さらにトレーニングやレース後のアルコールは脱水症状を助長します。
これで、痛風にならないわけがありません。 納得いたしました。
ただし、昨今ではプリン体を含む食品が悪いというよりも、食べる量と飲酒量が問題視されているようですね。
あとは体質が一番重要な要素ですね。 遺伝も然り。
良い教訓がありました。 「神様が教えてくれた、生活習慣病の警告ですよ!」って・・・
さて、拙者もお酒はほどほどにします。
あ〜あ、薬は一生か〜〜〜〜。(>_<)
まだまだトライアスロンは止められないから、先生の言われる通りにしよっと〜。(^^ゞ





平成18年5月6日(土) 3回目の宮古島トライアスロン

 4月23日、第22回大会に参加してきました。
今回で3回目ですが、さて今年はどんな結果だったのでしょうか?
 大会当日の朝、4時半過ぎにバスに乗り込み、スイム会場へ向かいました。 前日までの強風はなくなり、一安心です。 予報は雨のち曇り。 う〜〜ん??? バスの窓から雷光が見えている・・・・。 やっぱ、降るな〜の予感。
まだあたりは真っ暗。 出場選手受け付けをしていると、雷と突風、突然の土砂降り! 皆、びしょ濡れで準備するはめに。 海は前日までの荒れはなく、 いたって泳ぎやすく見えていた。
 いっせいに砂浜からのスイムスタート!(約13000人)。 私は焦らず、ゆっくりとスタートした。 急いだところがスイムで数分遅くれても、バイク、ランへの時間的な影響は微々たるもの。 焦ってバトル(人とのぶつかり合い)をするだけ精神的にも体力的にも消耗します。 もっとも、一流選手は良いバイクポジションを得るために必死に早く泳ぐわけですが・・・私は凡人レベルですから。 (^^ゞ  ところが泳いでいるとなんか方向が変だ・・・。 潮の流れが例年と逆?  例年、右に流されて行くのに逆に左へ流されている。 気づいた私は右よりに方向を転換する。 気づかぬ選手と交錯して泳ぎづらい状態が続く。 スイム(3キロ)が終わり、時計を見ると1時間10分。 なんと例年より10分遅い! 500メートル余分に泳いだ計算になる。 大会後にわかったことだが、今年は引き潮で潮の流れが逆になり、1時間30分の制限時間をクリアできず、リタイヤになった選手が120名近く出たそうだ。 
 
 そして2種目のバイクに移りました。 天候は雨が降ったり止んだり。 
去年は自分よりやや早い選手を追いかけ、オーバーペースで後半にダウン。 さらにランの後半にスタミナ切れをおこしました。 思い起こせば、髪の長いバックシャンの女性選手を追いかけたのです。 鼻の下が伸びて伸びて、伸びて・・・ でもね、この女性、女子総合9位でした。 女だからと甘く見たらとんでもない・・・御教訓を得ました。(・・;)
そんなわけで今年はマイペースでGO! 抜かれても、「ランをみてろよ!」 なんて心につぶやきながら。
今年はトレーニングでもランが好調だったのです。 
 バイクで一時間ほど経つと、天気はすっかりピーカン。 気温もグングン上がっている。 予報が違うよ〜・・・・。
汗っかきの私は噴出す汗、汗、汗! 3本載せたボトルは空になりさらにエイドで3本給水。 異常に喉が渇く。
以前のように脱水は起こすまいと留意していた。 バイク(155キロ)は5時間50分くらい。 まあまあだ。
スイムと合わせて7時間ジャスト。 ランが4時間13分以内なら新記録。 そんな思いでランへ。
 ランの時点で気温は27度。 頭がボーっとする暑さだ。
「軽快に走るぞ!」と走り始めた。 すると1キロも行かぬうちに足に力が入らない。 何かおかしい。
スピードもみるみる落ちる。 頭はさらにボ〜っとしてくる。 足が自由に動かない。 
それに異常な勢いで汗が吹き出る。 6キロ地点のエイドが見えてきた時、もうフラフラになっていた。
ついにエイドで座り込んでしまった・・・・。 気力が失われていた。 
後頭部を氷水のスポンジで冷やすこと5分、10分、15分、20分。 アクエリアスを飲み、再び立ち上がったのは30分近く経っていた。 「まだ6時間半もあるから、ゆっくり完走しなさいよ!」 エイドの人に励まされた。
「ありがとうございました」 と一礼をして再び走り始めた。
しかし、これからが辛いレースの始まりでした。 これは脱水を伴う熱中症だと思いました。 ジョギングスピードでもすぐに大量の汗をかき、体温の調節がうまくできないのです。 この後、日が暮れて冷えてきても汗をかく。 異常でした。 100メートル走っては100メートル歩く。 残りの36キロがず〜〜〜っとこの状況でした。
エイドでは梅干とアクエリアスと手持ちの補給食。 こんな辛い42キロははじめての経験でした。
すれ違う上位の選手にも歩く姿が見られ、今回の過酷さは相当なものだったようです。
ゴールしたのは夜の8時51分。スタートから13時間21分後です。 ランは約6時間17分でした。
完走者1105名中、900位。 ワースト記録の更新です。 (>_<)
でも200名近くのリタイヤは過去最高で、例年90%以上の完走率は80%台にまで落ち込みました。
何はともあれ完走は果たしました。 課題はまた来年に、雪辱いたします。(^^ゞ
 
 今大会はとても辛い大会ではありましたが、一つ心に残ったことがあります。
それはボランティアの皆様が最後の選手まで応援してくれていたこと。 朝の準備から終わりまで10時間近くもランのエイドは大変なはずです。 6キロ地点のボランティアの方々には本当に心配していただき、何度も何度もスポンジを取り替えてもらい、ありがたく思いました。 また沿道の応援者の方々も夜8時、9時頃の真っ暗な中でも手をたたき、声をかけ、応援していただき、がんばる勇気と力を与えてもらいました。
負け惜しみではないけれど、このような思いは遅いランナーにしかわからないかもしれません。
以前にも増しての新しい発見でした。 本当に島の皆様、ありがとうございました。m(__)m




平成17年4月21日(木) 2回目の宮古島トライアスロン
 

 4月17日、沖縄宮古島にて第21回宮古トライアスロン大会に参加してきました。 
1年ぶりで訪れた島。 変らぬ街の風景に懐かしさを覚え、そして「帰って来たぞ〜!」の喜びに浸りました。 この日をとてもこころ待ちにしてきました。(^○^)/
 ところが私のコンディション作りは良くなく、練習量は去年の半分くらいでした。 足首の捻挫(バスケットで)と風邪引きで2月が思うようにトレーニングできませんでした。 それでも出来る限りを尽くして完走することに意義がありました。.
 今年はロングのトライアスロン初挑戦の友人を含めて3人で行きました。 初挑戦の友人は緊張感に包まれ、再チャレンジの私は去年の記録にプレッシャーがかかります。(^_^;)
 今年も大会前日はスイム会場の試泳を含めて軽いトレーニング。 仲間と合流して6人で軽く汗を流しました。 やっぱ海が綺麗だ〜♪ (^O^)/

 今年のレース当日の天候は雨のち曇り。 レース直前のスイム会場は前日の晴天とうって変わってどしゃ降りの雨。
風は吹いてるし、寒いのなんのって・・・(・・;)  水温は22℃でしたから体感は海中の方が暖かいかもしれません。
そしてスイム(3キロ)、スタートのホーンは鳴り響きました。 今年は1300名の一斉スタートでした。 圧巻な光景ですよ!
 バイク(155キロ)は今年も強風にあおられ、辛いのなんの・・・。 またラン(42キロ)も往路は強い向い風・・・。 ラン復路からめためたの状態でした。 いやー抜かされた抜かされた・・・これでもかと・・・(+_+)
 結果は12時間4分。 去年よりもかなり遅いタイムでした。 特にランに至っては5時間オーバーでした。(^_^;)
やはり練習量は正直な結果をもたらしていました。 「ロングの大会にごまかしは利かない」 これ良き教訓なり。
 そして戦いは終わり、完走を果たした3人は祝杯へと向います・・・。(^O^)/
ところが・・・私だけ参加できませんでした・・・(>_<)   実はまたも脱水症状に襲われ、声はかすれ、めまいと吐き気で一人寂しく寝ていたのです。 水分、塩分、糖分補給は万全のはずが、何故でしょう? やはりそこには体調という要素が加わるのでしょう。 今、思えば良く完走できたと思います。 気力の限界を感じて走ってましたから・・・。
 ほんとうに奥の深いスポーツであるとしみじみ感じました。 だからこそ、また来年も新たな気持ちで挑戦するために、必ず戻ってきます。 島の方々、よろしくね! (~o~)/
 
 また、天候が悪く、寒い思いで長時間にわたり支援していただいたボランティアの方々に、心より感謝したいと思います。 私も地元、小金井アクアスロン大会の主催者の一人であり、ボランティアであるからです・・・ 心が通じます。

 (翌朝5時、私は一人目が覚め、友人が心配して買ってきてくれた「おにぎり3個、ビール」すべて平らげました・・・そうです、すっかり回復して、朝からビールしてました。(^_-)-☆)
 気力を振り絞っての「笑顔」




平成17年3月28日(月) 歳なんて、ぶっ飛ばせ! お〜 (^O^)/

 今年で私もとうとう50歳になりました。 トホホホ・・・・時の過ぎるのは本当に早いものですね。
  うぅ〜ん・・・。 (~_~;)
 今の持久系スポーツを始めた年齢が遅いせいもあって、過去を振り返っても私の記録のピークは47歳前後だったのかな? なんて思います。 毎年、フルマラソン記録が伸び、「ヤッホー」気分でしたのが47歳まで・・・。
その時の記録は3時間13分49秒。 その後からは二度と3時間30分を切ることができませんでした。 もう既に過去形の表現になっています・・・(^^ゞ。
 そんな私ですが、今年も2回目の宮古島トライアスロンに参加します。 4月17日。 もうすぐですね。
宮古島トライアスロンの年齢制限は65歳。 あと15年も楽しめる・・・。 と思いたいのですが、現実はわかりませんね。 微妙に健康管理が難しい年代に突入したようです。 とりあえず、4月7日に予約した「人間ドック」に行ってきます。
 「あ〜 怖い〜・・・」  こう見えても気が小さいのです・・・。(・・;)
 
 ところで下の写真は、私のスポーツクラブのイベント、 「メガロス駅伝」の一駒。(’05.2.13開催)


 そうです・・・私は仮装組です(私、真中)。 女装にはちっと適さない体系かと思いました・・・。(~_~;)
頭こそ薄くなりましたが、まだまだ元気いっぱいの・・・おじさんです。(^○^)/

 追伸。 最近はとうとう「ハゲキャラ」を意識してる今日この頃です。(~_~)/ オゥ!




平成16年12月13日(月) バスケットボール
  
 先日、3週間ほど前でしたが、高一の息子とメガロス(スポ−ツクラブ)のバスケットボールのサークルに参加しました。 私は中学、高校、大学2年まで続けたスポーツでした。 息子もまた中学生で3年間やりました。      
2人が同じスポーツクラブでバスケットをすることなど、つい最近まで考えてもみませんでした。 
私は今では長距離系、持久力スポーツ愛好者。 バスケットはどちらかと言えば短距離系です。 もう二度とすることもないだろうと思っていました。 ところが、そんな機会がめぐってきたのです。
いやー、歳には勝てませんでした。 ヘトヘトの60分間でした。 ところが息子は若いだけあって余裕の動きでした。
息子には今度こそ完敗です (^^ゞ。 う〜ん 悔しいやら・・・・ トホホ・・・。 でもでも、まだ腕相撲は勝っていますよ!(^_-)
そして2回目のサークル参加は私一人でした。 息子が学校の試験中だからです。
へっへっへ・・・ シュートこそまだ決まる確率も少ないのですが、動きが戻ってきました。 
実はバスケットシューズを買ってしまいました。 もうやる気満々の私です! (^_^;)
ところで去年の暮れ、高校時代のバスケット部の友人に呼ばれて30年ぶりに忘年会に参加しました。 この時は、いまだにバスケットを続けている友人達に活動を勧められても、「今はトライアスロンに忙しいから・・・」と断っていました。  それがまさかすることになるとは思ってもいませんでした。
そして先日、この友人に電話してしまいました。 活動日など聞いてしまったのです。 (^_^;)
世田谷ですが12月の末には初参加してみようと思います。 ワクワクしてきました。
また趣味の展開が広がりそうな気配がします。 どうも私は5〜6年ごとに新しいことにチャレンジする周期があるようです。 さてさて、バスケットは続きますかね??? 賭けの対象になりそうですね・・・(^_-)





平成16年11月29日(月) 東京ディズニーランド

 毎年、この時期になると必ずディズニーランドに出かけます。 お目当ては「クリスマス・ファンタジー」です。
1年を通して園内が最も美しく飾られ、楽しいイベントが盛り沢山の時期なのです。
パレードやショーを見るのが第一目的で、乗り物は時間があまれば・・・です。 今年も従業員を連れだって出かけました。 楽しいイベントは早いもの勝ちでの予約が必要です。 私も先行隊として開園2時間前からゲートに並びます(一人で)、そして開門と同時に予約場所まで500m走です。 負けませんよ! 普段、走りこんでますから・・・役にたちます。(^O^)/  私の従業員とは後から合流します。 写真はそんな予約で勝ち取った、ザ・ダイヤモンド・ホースシューでのイベントでの一こま。 私の隣の方は外人の「オカマ」ではありませんよ! 西部開拓時代の酒場、「マダム・スゥー」です。 また、着ぐるみのキャラクター達がその気になって愛嬌を振りまきます。 この時ばかりは童心に帰って楽しみます。 現実の世界から逃避してつかの間の空間を満喫します。 普段、忘れている心を呼び起こしてくれます。
 

 次ぎに、決して見逃がしてはいけないショーがショーベース2000で行われる「ワンマンズ・ドリームU」です。 「一人の夢」の意味はウォールトディズニーの描いた夢と言う意味なのです。 白黒の時代のミッキーのアニメから白雪姫、シンデレラ、最近のライオンキング、トイストーリーに至るまでミュージカル調のショーを楽しませてくれます。 美形なダンサーの踊りに思わず見とれてしまいます。ヘヘヘ・・・・(^^ゞ
 そして最大のイベントはお城の前のクリスマスショーです。 今年はくじ引きで当選して椅子に座って見ることができました。 ハズレると立ち見ですから大変な根性で場所取りに・・・。 このショーで一番好きなのは人間クリスマスツリー。 聖歌に思わずジ〜ンときます。(^^ゞ  またお決まりのラインダンスも綺麗でいいですね♪。
 仕上げはエレクトリカルパレード。 寒いけどがんばって並びます。 自前のホットウーロン茶に焼酎を入れて暖をとります。 内緒ですよ! アルコールの持ちこみは禁止なのですから・・・。 そしてクリスマス・イン・ザ・スカイ。 花火です。 楽しさに酔いしれ、焼酎にも回りました。
 ディズニーランドで乗り物ばかりに夢中になっている方々、一度、ショーめぐりをしてみてください。 思わずその完成度に驚きますよ。 ショーは人が生で演出してます。 その熱意の心が伝わってきます。 カリブの海賊は何回入っても同じですが、 ショーは見るたびに新鮮ですよ。 お試しあれ! (^O^)/



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